主任研究員
蜂須 英和博士(工学)
大学院修了後、JST-CREST研究員を経て、2010年NICTに入所。2013年10月から現職。光周波数標準、特に光格子時計の高精度化、およびその応用に関する研究に従事。
レーザー光と原子による次世代の周波数標準
電波から光の時代へ
はじめに
現在、レーザー光と原子を用いた光周波数標準は「秒」の定義を実現するセシウム周波数標準の精度を凌駕しています。時空標準研究室はより高精度な時刻情報を提供するため、光周波数標準の精度向上とその時刻生成への応用に取り組んでいます。その一方で、この光周波数標準の精度を利用し、これまでに、一般相対性理論が唱える"標高差によって時間の進み方が異なること"を高い精度で検出しました。さらに、最近では欧米のグループと協力して、現在の宇宙の理解には不可欠とされながら、いまだ正体不明の暗黒物質の探索にも取り組んでいます。
ストロンチウム光格子時計
原子周波数標準
原子周波数標準は、原子が特定の周波数の電磁波(電波や光)を吸収・放出する性質を利用しています。この吸収や放出の際に原子の状態が遷移します。この特定の周波数を遷移周波数と呼んでいます。そして、国際単位系(SI)の時間の単位である「秒」は、セシウム原子のマイクロ波帯の遷移周波数に基づいて定義されています。この定義を実現し、国際的な認定を受けたセシウム周波数標準を一次周波数標準と呼んでおり、その最高精度は3億年で1秒しか狂わないほどです。これを長さに例えると、地球の直径をおよそ1ナノメートル(10億分の1メートル)の精度で測れることに相当し、原子周波数標準が驚くべき精度で実現されていることが分かります(図1)。
さらなる高精度を目指して、私たちはマイクロ波より高い周波数の電磁波であるレーザー光を用いた光周波数標準(光原子時計)の開発に取り組んでいます。ものさしの目盛りが細かいほど高精度に長さを測れるように、光ではマイクロ波に比べて1秒間に振動する波の数が多いため、1秒をより高精度に測れます。実際、これまでに160億年で1秒しか狂わない精度の実現が報告されています。このような状況から、国際度量衡委員会では「秒」の定義をセシウムのマイクロ波遷移から原子の光学遷移に改定することが本格的に検討されています。
図1. 現在の原子周波数標準の精度を長さに例えると、地球の直径をおよそ1ナノメートルの精度で測れることに相当。
光周波数標準はさらに1-2桁高精度。
単一イオントラップ光時計と光格子時計
図2に示すように、光周波数標準には主に2つの方式があり、その一つは1980年代に欧米で提案された単一イオントラップ光時計です。この方式は、適切に配置した電極に交流電圧をかけることで発生した交流電場とイオンとの間に働くクーロン力を利用して捕獲した1つのイオンを用います。
図2. (a)単一イオントラップ光時計の装置の一部と(b)トラップ電極の写真及び(c)実際に捕獲されているイオンのCCD画像。(c)青く光っている2つのカルシウムイオン(Ca+)の間に光原子時計に使う1つのインジウムイオン(In+)が捕獲されている。(d)ストロンチウム光格子時計の装置の一部の写真と(e)光格子に複数の原子が捕獲されている様子を示した概念図。
一方、光格子時計(図2と図3)は2001年に東京大学の香取秀俊准教授(当時)が提案した日本発の方式で、光の干渉縞(光格子)に捕獲した数万個の原子を用います。シュタルク効果という物理現象により、適切な周波数を選ぶと原子は電場強度の強いところに集まります。対向する一対のレーザー光で作った光格子は電場強度が空間的に強め合ったり弱め合ったりしているため、原子からするとパンケーキを重ねたように規則正しく並んだたくさんの居場所があるように感じます。ここに捕獲した原子を同時に扱うので、単一イオントラップ光時計に比べて信号の強度が大きく測定時間を短くできる特徴があります。
当研究室では光格子時計と共に単一イオントラップ光時計の開発にも取り組んでおり、お互い協力しつつ、刺激し合いながら研究を進めています。
図3. 光格子時計では、レーザー冷却法により運動を抑制した原子を光格子に捕獲している。
写真はレーザー冷却用の光源の一部。
ストロンチウム光格子時計の絶対周波数測定と直接周波数比較
定義であるセシウムの周波数を基準にした周波数を絶対周波数と呼びます。ストロンチウム(Sr)原子を用いた光格子時計は、現在各国の計量標準研究所などで開発が進められており、報告された絶対周波数測定の結果には高い整合性があります(図4)。
国際度量衡委員会(CIPM)はその傘下の時間周波数諮問委員会(CCTF)の提案に基づいて、いくつかの周波数標準の周波数勧告値を決定しています。この周波数標準のいくつかは秒の二次表現と呼ばれ、「秒」の再定義の候補となっています。
真空槽に入射しているレーザー光を調整中
図4の青線はストロンチウム光格子時計の最新の周波数勧告値を示しており、秒の二次表現の中で最も小さい不確かさが与えられています。緑線は2021年のCCTFの会議で提案された周波数勧告値です。図4の赤丸で示した私たちの成果もこれらの決定に寄与しています。
絶対周波数計測の不確かさは、今では定義を実現するセシウム一次周波数標準の不確かさに制限されています。そこで、より高精度に光周波数標準を評価するために、定義を仲介せず、光周波数標準同士で直接周波数比較する必要があります。そこで、私たちは光ファイバや人工衛星を用いて、NICTのSr光格子時計と他機関の光周波数標準との間の直接周波数比較にも取り組んでいます。
2011年8月プレスリリース:https://www.nict.go.jp/press/2011/08/04-1.html
2014年5月プレスリリース:https://www.nict.go.jp/press/2014/05/27-1.html
図4. 2013年以降に各機関から報告されたSr光格子時計の絶対周波数。オレンジと青、緑の実線はそれぞれ2015年と2017年、2021年のCCTFの会議で提案されたSr光格子時計の周波数勧告値で、各破線はその不確かさを表す。Sr光格子時計に対する不確かさは、秒の二次表現の中で最も小さい。
光格子時計を用いた協定世界時の校正
グローバルな金融取引や第5世代移動通信システム(5G)など実社会においては、より高精度な時刻情報がますます重要となっており、そこでは参照する国際的な標準時として協定世界時(UTC)が用いられます。UTCは国際度量衡局(BIPM)が世界中の400台以上ものマイクロ波原子時計の周波数の重み付き平均から算出した時刻です。そのUTCが刻む1秒の長さ(歩度)は、各国の一次周波数標準などにより常時評価され、その評価結果を使ってBIPMが歩度の校正値を決定しています。評価結果がこの校正に採用されるには、国際作業部会(CCTFの一次及び二次周波数標準作業部会)にその能力が認められる必要があります。NICTのSr光格子時計は2018年11月に二次周波数標準として認められ、同年12月にはパリ天文台のSr光格子時計と共に光周波数標準としては初めて直近のUTC校正値決定に寄与し、その後も調整期間を除いてこの校正を続けています(図5)。
2019年2月プレスリリース:https://www.nict.go.jp/press/2019/02/07-1.html
図5. UTCを校正するために、一次及び二次周波数標準は国際原子時(TAI)の歩度を測定している。UTCとTAIの歩度は同じで、TAIにうるう秒調整した時刻がUTC。図は2016年1月から2019年7月の間に報告されたTAIの歩度評価結果。エラーバーは測定の不確かさ。ここでは、セシウム一次周波数標準の校正と比較するために、二次周波数標準に課せられる不確かさは除いている。
ローカル標準時刻の高精度実信号生成
UTCはBIPMが1か月に一度算出する時刻のため、実際の信号はなく、実利用には不向きです。そこで各国はUTCに同期したローカル標準時刻の実信号を生成・維持しています。当研究室で生成している実信号はUTCに対して通常5000万分の1秒以内の精度で時刻差が維持され、+9時間の時刻差を付けて日本標準時として広く提供されています。
2016年には、私たちは光格子時計を用いた、より高精度な時刻実信号の生成を世界で初めて実現しました。光格子時計は複雑な装置のため、長期の連続動作はまだ難しい状況です。そこで安定に連続動作が可能な商用の水素メーザというマイクロ波原子時計を信号源とし、週に1度3時間程度光格子時計で水素メーザの周波数を評価し、この結果をもとに水素メーザの周波数を調整することで、より高精度な時刻実信号TA(Sr)を5か月間生成しました。図6の青線に示したように、生成した時刻TA(Sr)とUTCとの時刻差を比較開始時に0に調整した後、その差は徐々に広がり、5か月後には8 ns(ナノ秒, 10億分の1秒)以上になりました。
しかしながら、BIPM地球時という、より高精度な時刻との差は5か月間で2 ns以下を維持しました(図6の赤線)。BIPM地球時はBIPMが前年までの各国の周波数標準によるUTCの歩度評価結果を全て用いて算出した、より定義に近い歩度で時を刻む時刻で、BIPMが毎年1月下旬頃に発行しています。UTCでは過去に遡って時刻を修正しないため、周波数標準が評価した結果は実際に評価した期間の校正には寄与しませんが、学術利用が目的のBIPM地球時では過去である、この評価期間の時刻をも修正するため、計算の時点で私たちが知り得る最も正確な時刻です。したがって、今回の結果はTA(Sr)がこの5か月間、UTCよりも定義に近い歩度で時を刻んでいたことを示しています。
図6. 2016年に生成した光格子時計を用いた高精度な時刻実信号TA(Sr)。青線と赤線はそれぞれTA(Sr)とUTC, TA(Sr)とBIPM地球時の時刻差。5月の初めに時刻差を0に調整している。黒破線はBIPM地球時とUTCの時刻差。
光格子時計の基礎科学への貢献
私たちは光格子時計の精度向上に努める一方、この精度を使ってこれまでに相対論効果の検証も行いました。一般相対性理論によれば、重力場が強いところは時間がゆっくり進みます。地球上の私たちにとっては、これは標高の高いところの時間は早く進むことを意味します。2011年に私たちは光ファイバを用いてNICT本部(小金井)の光格子時計の信号を東京大学本郷キャンパスの香取研究室に伝送し、東大の光格子時計との間で周波数差を計測して、56 mだけ標高が高いNICTの時間が東大よりも早く進むことを検出しました。
2011年8月プレスリリース:https://www.nict.go.jp/press/2011/08/04-1.html
重力ポテンシャルの違いで時間の進み方が変わるので、そのわずかな時間の進み方の違いを光格子時計によって検出することで、地下にある空洞や資源の存在を調査できるようになるかもしれません。
また、私たちは欧米のグループ(ポーランドのニコラウス・コペルニクス大学が主動)と共に光格子時計を用いた暗黒物質(宇宙空間にあるとされるものの、いまだ正体不明の物質)の存在の探索にも取り組み始めました[P. Wcis?o, et al., Sci. Adv. 4, eaau4869 (2018)]。
まとめ
小さな実験室で行っている原子とレーザー光の相互作用の研究から発展し、相対論効果を身近に感じられたり、宇宙の謎に迫る壮大な研究テーマにも取り組めたりすることは、究極的な精度を追い求める周波数標準の研究の魅力の一つです。
現在、私たちは光周波数標準を使ってUTCの高精度化に貢献するとともに、以前実証した高精度時刻実信号生成を発展させ、光周波数標準を用いたより高精度な日本標準時実現を目指した取り組みを進めています。そして、今後は光周波数標準の高い精度を活かして、自然界のより深い理解にも貢献していきたいです。
時空標準研究室の実験室にて