協力研究員
穂積 コンニャナット
博士(情報学)
京都大学大学院博士課程修了後、京都大学生存圏研究所(ポスドク研究員)を経て、2015年よりNICT入所。主に電離圏観測やHF帯*1の電波伝搬シミュレーション、低コストのデジタル電波受信機開発の研究に従事。
電離圏と電波伝搬について
電波インフラの安定運用を支える最先端研究
電離圏とは?
太陽光中の極端紫外線は中性大気を電離させ電子とイオンを作ります。この太陽紫外線により部分的に電離した大気の層を電離圏と呼びます。電離圏は、高度60kmから1000kmの領域に存在しており、高度によってD層やE層、F層などの領域に別れています。電離圏の電子密度の構造は様々な時間スケールで変動しています。1日の間でも変化しますし、季節ごとにも変化します。太陽の活動が11年周期で変化しているため、この周期でも電離圏は変動しています。電離圏はHF帯*1の電磁波を反射するという私達の生活に役立つ特性を持っています。HF帯の電波を使うと、電離圏に反射させつつ遠くまで電波を飛ばすことができるので、遠くの地点とのコミュニケーションが可能となります(もちろんSkypeやLINE、Facebook、Instagramを使ってもいいのですが、HF通信でも遠距離のコミュニケーションができます)。
*1 HF帯
HF (High Frequency)帯。周波数にして3から30MHz、波長にして10から100mの電波のレンジ、またはその電波。短波とも呼ばれる。
図1. 電波伝搬と電離圏効果
電離圏が電波伝搬に及ぼす影響
定常状態の電離圏の構造は太陽光による電離、再結合、輸送のバランスで決まっていますが、このバランスが崩れると電離圏嵐や電離圏擾乱が発生します。擾乱が発生すると電離圏の電子密度が急激に減ったり増えたりします。電子密度が急激に減った場合(ネガティブストームと呼びます)、電離圏が反射できる電波の最大の周波数が下がるため、利用可能な電波の周波数が下がります。一方、電子密度が急激に増えた場合は(ポジティブストームと呼びます)、利用可能な電波の周波数は上がりますが、衛星電波の伝搬に遅延が生じたり、衛星電波を使用した測位に誤差が生じたり、などの障害が発生します。
図2. 地上から宇宙までの高さ構造
大きな太陽フレアが起こった場合、太陽光中のX線が急激に強くなります。この強められたX線は、高度60kmから90kmの電離圏下部領域(D層と呼ばれます)の電離を引き起こし、この領域の電子密度が急激に増大します。このようなことが起こるとD層でHF帯電波の吸収が起こり、最悪の場合では、数時間ほどHF通信が全く使用できなくなります。この太陽フレアに起因するHF通信障害はデリンジャー現象と呼ばれます。
他にもスポラディックE層やプラズマバブルという電離圏の擾乱現象があります。スポラディックE層は高度100kmほどに局所的に現れる電子密度の濃い厚みの薄い層です。スポラディックE層が現れると通常より長距離のHF帯、VHF帯*2の通信が可能となるためアマチュア無線愛好家の間でもよく知られています。スポラディックE層により予期せぬ電波の長距離伝搬が起き、通常の電波利用に干渉しノイズとなってしまう場合もあります。プラズマバブルは赤道域で日没後に発生する現象で、通常東側に伝搬し、また地球の磁場の磁力線に沿って高緯度側に進展していきます。東南アジア域で発生したプラズマバブルは海上を進展していき、日本上空に到達することもあります(太陽活動度が高い時や磁気嵐発生時などにこのようなことが起こります)。プラズマバブルが発生すると電離圏を通過する衛星電波の質が悪くなります。結果として、飛行機の通信に使われるSATellite COMmunications (SATCOM)システムの質の低下をもたらしたり、飛行機、自動車、船舶、農業などに使われる衛星測位システムの精度低下をもたらします。
*2 VHF帯
VHF (Very High Frequency)帯。周波数にして30から300MHz、波長にして1から10m電波のレンジ、またはその電波。超短波とも呼ばれる。
東南アジア域での研究活動
近年、電波技術の利用が拡大し、電離圏状態の把握は社会にとって必要不可欠な情報だと広く認識されるようになってきました。例えば、準天頂衛星を用いた高精度測位の実現には、プラズマバブルなどを含めた電離圏の衛星電波への影響の考慮が必要不可欠です。電波の伝搬が私達の研究室の核となる研究テーマの一つですが、これまで述べたように電離圏は電波伝搬に大きな影響を及ぼすため、私達の研究室は電離圏の観測についても先進的な研究を進めてきました。
チュンポンのVHFレーダー
日本国内での電離圏観測に加えて、海外との共同観測・共同研究・情報共有を目的とした活動、SEALION (SouthEast Asia Low-latitude IOnospheric Network)も精力的に行ってきています。SEALIONは東南アジアの各国との共同電離圏観測ネットワークで私達の研究室が主導しています。東南アジア域は、最終的に日本上空に到達するプラズマバブルが発生する領域であり、日本上空の電離圏状態の将来予測のために重要な領域であると言えます。2003年にSEALIONを始めて以降、タイ(チェンマイ、バンコク、チュンポン、コラット)や、ベトナム(バクリウ)、インドネシア(コトタバン)、フィリピン(セブ)、ラオス(ヴィエンチャン)などで、様々な観測機器を運用してきました。これらの観測機器で取得されたデータはリアルタイムで日本に転送され、電離圏の現状把握に利用されます。プラズマバブルの状態の現状把握、将来予測はとても重要であり、SEALIONの取得データはそのためにも使われています。プラズマバブルの基本的な発生メカニズムは分かっているものの、現状の観測データと計算機シミュレーションでは、プラズマバブルの発生する時間、 位置の正確な予測は不可能です。プラズマバブルの予測精度の向上のため、2020年1月にはタイ・チュンポンに新たにVHFレーダーを設置しました。今後いっそう電離圏観測ネットワークをさらに拡充していきます。
図3. SEALION(東南アジア電離層ネットワーク)
(URL:https://aer-nc-web.nict.go.jp/sealion/index.html)
現在の研究・開発状況
この研究室での私の仕事は、工学と理学、観測とシミュレーション、研究と社会のユーザー、を互いに結びつけることです。具体的には、「観測とモデリング」、「電波伝搬シミュレーターの開発」、「電波受信機の開発」と3つの研究を行っています。
電離層観測用アンテナ
「観測とモデリング」の研究では、SEALIONの観測運用、とくにGPS受信機網、イオノゾンデ、磁力計といった観測機の運用に携わっています。またそこで取得されたデータを入力値としてAIをトレーニングし、東南アジア域の電離圏の現状把握、将来予測をするAIモデルを開発しています。
観測とモデリングに加えて、「電波伝搬シミュレーターの開発」も重要な研究テーマです。電離圏情報を電波利用者に向けて宇宙天気情報として正確に効果的に伝えるためのツールを開発しています。HF-START (HF Simulator Targeting for All-users' Regional Telecommunications)と名付けたシミュレーターを開発することで、電離圏状態が電波を用いた通信にどのような影響をあたえるかを具体的に明らかにし、電離圏観測情報をユーザーにとってわかりやすい情報(どの場所、時間でどのような電波が利用可能か)に翻訳できるようにしています。HF-STARTの最終的な目的は、利用可能な電波や、電離圏擾乱に起因する衛星通信障害や計測誤差の情報を社会のユーザーに即時に知らせることができるようにすることです。
「電波受信機の開発」については低コストデジタル電波受信機の開発を行っています。現在、ソフトウェア無線技術と小型廉価コンピューター、Raspberry Piを使用した試作機を開発中です。これまで、LASER (Low-cost Amateur receiver System Employing RTL-SDR)とLASER_FM (LASER for Frequency Modulation signals)という2つの試作機を作りました。LASERはHF帯のAM信号を受信するもので、HF-STARTの性能評価のために開発しました。LASERによるHF帯電波観測の結果とHF-STARTのシミュレーション結果を比較することでHF-STARTの性能評価が可能で、現在そのための観測キャンペーンを進めています。このLASERの開発では、2018年のAT-RASC (Atlantic Radio Science Conference) のURSI (Union Radio-Scientifique Internationale) Young Scientist Awardの表彰を受けました。LASER_FMはVHF帯のFM信号を受信するもので、スポラディックE層のVHF帯への影響を研究するために開発しました。LASER_FMのネットワーク観測を展開することでスポラディックE層を広範囲で捉えることができるようになり、日本上空のスポラディックE層の分布の把握が可能になると期待できます。LASERとLASER_FMはいずれも廉価で小型であるため、日本国内だけでなく、海外にも、例えばアフリカなど離れた地域への展開も容易です。電波利用技術が広く活用される現代社会において、電離圏研究を通じて社会に貢献できるように、これからもデジタル電波受信機の開発を続けたいと思います。
図4. HF-START(URL:https://hfstart.nict.go.jp/jp/index.html)
将来の展望
航空は急成長を遂げている産業の一つですが、国際民間航空機関(ICAO)は、通信と測位へ深刻な影響を与える宇宙天気リスクを回避するため、今後数年間のうちに電離圏情報を航空機の運用に必要な情報として導入することを検討しています。つまり、航空機の運用にとって電離圏情報は気象予報などと同様に必要不可欠なものになると予想されます。また、東南アジアの経済発展に伴い、東南アジア諸国が自力で電離圏を観測したいという機運も高まっています。そのため私達は、例えば、アウトリーチ活動、キャパシティ・ビルディング、訓練プログラムなどを通じて、SEALIONの協力研究機関への電離圏観測や研究の知識・ノウハウの伝達を推進しています。海外展開を意識した低コストデジタル電波受信機を開発していますが、開発が完了し次第、主に東南アジアの研究協力者に、この機材を提供することを検討しています。
HF-STARTの高精度化と能力向上を図るため、国内外の研究機関の研究パートナーシップを強化していきます。HF-STARTとリアルタイムの電離圏観測データを統合することで、電離圏実測データに基づく世界初のリアルタイム電波伝搬シミュレーターを実現することができます。宇宙天気情報は私達研究者だけではなく社会の中で広く利用されるべきものですから、ユーザーと緊密なコミュニケーションをとり、要望やフィードバックを受け取りつつユーザーインターフェースをわかりやすく使いやすいものにしていきたいと思っています。
日本は高齢社会となりつつあります。経済成長を維持するためには、高齢者の安全確保や、労働者人口の不足を解消することが迫られます。衛星測位システム(GNSS)を活用した製品(例えば、生体情報のスマートリモートモニタリング、産業向けのスマートナビゲーションや追跡システム、スマート精密農業システム、自動運転など)は、必然的に社会において重要な役割を果たすことになるでしょう。平常時だけでなく災害時にも、陸・海・空の電波インフラを安定的に利用できるようするため、私達は「情報通信技術」における国立研究機関として、社会のユーザーに対して分かりやすい情報を提供できることを目指しています。そのために研究、開発を進めていきます。
電離層観測棟にて